【史跡・遺跡】市ケ尾横穴古墳群

東急田園都市線・市が尾駅から歩いて10分ほどの住宅街にある市ケ尾遺跡公園。公園に入り散策路を進むと、丘の崖面にいくつもの大きな穴が並ぶ奇妙な空間「市ケ尾横穴古墳群」が姿を現す。これらの穴は6世紀後半から7世紀後半にかけてつくられたとされる古墳時代後期の横穴墓であり、古代横浜の存在を今に伝えている。

古墳時代のムラでは、数軒の竪穴住居・平地住居・高床倉庫からなる単位がいくつか集まって集落をつくり、ムラの首長の下で農業を営み、季節ごとの祭祀を行い暮らしていたという。横穴墓は古墳時代後期になってみられるようになったムラの首長などを埋葬した墓で、丘陵や山の斜面を掘り込んでつくられた。横穴の内部は死者を埋葬する墓室(玄室)と、外部と玄室を結ぶ通路(羨道)からなり、武器や装身具、土器などの副葬品がそなえられていた。「市ケ尾横穴古墳群」は6世紀後半から7世紀後半にかけてつくられた地域の有力者とその親族の墓とされる横穴墓群で、A群12基・B群7基の19基からなり、昭和8(1933)年に発見された。発掘調査の中で前庭部と呼ばれる横穴入口前の広場部分からも土師器や須恵器、刀などが見つかり、前庭部でも死者を祀る儀式が行われていたのではないかと推察される発見がなされている。複数回の発掘調査を経て昭和32年(1957)には神奈川県史跡に指定され、後に古墳群には化学的処理を施し、市ケ尾遺跡公園として整備され保存・公開されている。

鶴見川上流(谷本川)の市ケ尾周辺では、この市ケ尾横穴古墳群の他にも多くの横穴墓群がつくられ、荏田地域とともに古代都筑の中心地であったという。周囲の自然と融け合うように崖にあいた穴がいくつも並ぶ不思議な空間の中に身を置くと、1400年から1500年というはるか昔にも古代横浜があり、そこで人々が社会的な生活を営んでいたことが想い起される。公園を後にする頃には、横浜という空間の歴史的なイメージをグッと拡張させられ、谷本川沿いの現在の田園風景もどこか別様に見えてくるような貴重な歴史空間である。

市ケ尾遺跡公園入口

園内にはいくつも説明版が設置されていて、詳しい解説がなされている。

 

A群横穴墓。

A群には12基の横穴墓がある。

 

内部を見ることもできる。

 

 

 

散策路を進んでB群横穴墓へ。

B群横穴墓。

B群には7基の横穴墓がある。

 

 

 

市ケ尾遺跡公園
所在地:横浜市青葉区市ヶ尾町1639-2


2017-08-02 | Posted in 歴史, 史跡・遺跡 | tag:

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