【横浜の公園】港の見える丘公園

山手の丘から港を見渡し、バラの名所としても知られる「港の見える丘公園」。横浜を代表する観光地でもある公園一帯は、幕末から明治初期にかけてイギリス、フランス両軍が駐屯した地としても知られる。

薩摩藩士がイギリス人を殺傷した文久2年(1862)の生麦事件を契機に、イギリス・フランス両国は自国軍隊による居留地の防衛を要求し、翌文久3年(1862)から山手に駐屯した。この内イギリス軍は丘上の公園一帯から外国人墓地の向かい側にかけての地域に、フランス軍は現在のフランス山一帯に陣営を構え、明治8年(1875)まで駐屯を続けた後に全面撤退した。

撤退後もイギリス軍駐屯地跡にはイギリス海軍病院(関東大震災まで)、イギリス総領事公邸が置かれ、フランス軍駐屯地跡にもフランス領事館およびフランス領事官邸が置かれたが、丘の上一帯の広大な土地の大部分は特に何も使われていなかった。戦後は米軍に接収されていたが、接収が解除されると公園用地として横浜市が取得。昭和37年(1962)、後に横浜を代表する公園となる「港の見える丘公園」がここに開園した。尚、公園名は戦後間もない頃に平野愛子が歌い流行した歌謡曲「港が見える丘」にちなみ命名された。

現在の公園は大きくフランス山地区、展望広場地区、イギリス山地区、近代文学館地区からなる。フランス山地区は開園後の昭和46年(1971)に横浜市がフランス政府から土地を取得し、公園の拡張区域として整備された。大きな樹木が立ち並び緑に囲まれた雰囲気の良い場所で、旧フランス領事官邸の遺構などが残されている。展望広場地区の展望台からはベイブリッジや山下ふ頭方面の景色を中心とした港の風景を見渡し、半円アーチの羽のような展望台の屋根は公園のランドマークにもなっている。港の見える丘公園はバラの名所としても知られ、春と秋にはイギリス山地区のイングリッシュローズの庭を中心に約330種・2200株もの多様なバラが美しい花を咲かせる。また、イギリス山地区には昭和12年(1937)に建てられた旧イギリス総領事公邸が「横浜市イギリス館」として残されている他、横浜に多くの作品を残した建築家J.H.モーガンによって大正15年(1926)に建てられた「山手111番館(旧ラフィン邸)」といった歴史的建造物が保存されている。公園内には2つの文化施設があり、「大佛次郎記念館」では横浜ゆかりの作家・大佛次郎から寄贈された遺品などが展示され、「神奈川近代文学館」では神奈川県にゆかりのある作家や作品の資料などが展示されている。また、平成26年(2014)には外国人墓地正門脇の旧アメリカ海軍病院跡地に港の見える丘公園の拡張部として「ブラフ99ガーデン」が開園した。

開港期にイギリス、フランス両軍の駐屯地であった場所を、戦後になって公園として開園し、今や横浜を代表する観光地となった「港の見える丘公園」。市中心部に近い観光地である一方で、多種多様な草花を楽しみ、大きな木々の立つ豊かな緑の中を歩き、港と海と空を近くに感じることのできる市民の憩いの場として親しまれている。

 

みなとみらい線・元町中華街駅の元町口からほど近いフランス山のふもとから公園に入る。
バルタール広場。

バルタール広場裏に立つ「クリーニング業発祥の地」の記念碑

バルタール広場周辺の木々。

バルタール広場から旧フランス領事官邸遺構の脇に直結する長い階段。

「横浜ボウリング発祥の碑」。元治元年(1864)外国人居留地内にボウリングサロンを開場したとされる。

「フランス橋」。かつてこの橋のある辺りに旧フランス領事館があった。
※現在フランス橋周辺一帯は浸水災害対策の為工事中(~平31/2/28)

 

かつて領事館の外壁に取り付けられてた「メダリオン(円形の飾り)」。フランス橋の橋台にはめ込まれ展示されている

パビリオン・バルタール。1860年代に建てられたフランス・パリ中央市場で使用されていた純鋳鉄製骨組。建築家バルタール設計によるもの。中央市場は再開発により取り壊されたが、地下階で使用された構造物の一部を横浜市がパリ市より寄贈され、かつてフランス領事館のあったこの地に移設し復元設置した。

パビリオン・バルタールの奥からフランス山を上る。

パビリオン裏手の階段周辺は鬱蒼とした樹林のようで、見事な枝振りの樹木も多い。

庭園広場。奥に見える風車は、フランス領事官邸時代、井戸水をくみ上げる為に設置されたという風車のレプリカ。

立派なプラタナス。

旧フランス領事官邸遺構。現存する遺構は関東大震災後の昭和5年(1930)に再建され、昭和22年(1947)に火災で焼失した2代目領事官邸の焼け残った1階部分。

生い茂る木々に囲まれ、天井のない朽ちた建物には蔦が這い、独特な雰囲気を放っている。

背の高い木々が並び立つ林間広場。

3本並んで立つ大きなプラタナス。

3本のプラタナスの下にある「愛の母子像」。昭和52年9月27日に横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、母と幼子二人が亡くなった悲しい事故の慰霊碑。

大きな木々に囲まれひと休み。

 

谷戸坂の方へ出る道。

谷戸坂の裏坂上の脇にある出入口。この門柱は外壁の仕上げが震災後のフランス領事官邸と同じことから、同時代に設置されたものと推察されているという。

「レンガ造り井戸遺構」。明治29年(1896)に初代のフランス領事官邸が建てられた際、当時は上下水道が山手まで敷設されていなかったので設置されたもの。当時の様子をしのぶ遺構として保存されている。

展望台広場。半円アーチの羽のような展望台の屋根は公園のランドマーク。

展望台から山下公園、大さん橋、みなとみらい方面をのぞむ。

展望台から山下ふ頭をのぞむ。山下ふ頭も今後再開発が予定されており、長年親しんできたこの展望台からの景色もどう変わってゆくのだろうか。

展望台からベイブリッジ、本牧ふ頭方面をのぞむ。

展望台からの夜景。

夜の展望広場。

展望広場の一角には横浜のまちが舞台となったスタジオジブリの「コクリコ坂から」の記念スポットが設けられていて、「ご安航を祈る(安全なる航海を祈る)―I wish you a pleasant voyage」を意味するUWの国際信号旗が掲げられている。

 

イングリッシュローズの庭。春バラが見ごろの時期の様子はコチラ

バラ以外にも1年を通じて様々な草花を楽しむことができる。

英国総領事公邸として昭和12年(1937)建てられた「横浜市イギリス館」。

 

香りの庭(沈床花壇)。

 

 

 

 

バラの見ごろが過ぎると、ユリが楽しませてくれる。

小道を彩るラベンダーも良い雰囲気。

 

 

木々や草花越しに見るイギリス館。絵になる風景。

 

噴水広場のロータリーで転回する横浜観光スポット周遊バス「あかいくつ」。

J.H.モーガンによる大正15年建造の「山手111番館」。赤い瓦屋根・白い壁・三連アーチのパーゴラが特徴的なスパニッシュ様式の可愛らしい建物。

山手111番館の裏手。地下階はカフェとして営業している。ローズソフトクリームが美味しい。

「大佛次郎記念館」。

大佛次郎記念館と近代文学館を結ぶ霧笛橋。橋の設計は両施設の建物と同じく建築家・浦辺鎮太郎で、かながわの橋100選にも選ばれている。

「神奈川県近代文学館」。

近代文学館の裏手にある樹木。

近代文学館横にたつ「芸亭のさくら(うんていのさくら)」。樹齢約90年とされる古木の桜。芸亭とは奈良時代末期に公開された日本最古の図書館の名。

谷戸坂上の公園出入口。

外国人墓地正門脇の旧アメリカ海軍病院跡地に港の見える丘公園の拡張部として平成26年(2014)に開園した「ブラフ99ガーデン」。

公園の外壁の一部に復元された「ブラフ積み擁壁」。

山手の洋館の前庭をイメージしたという公園では、バラや宿根草など1年を通じて草花を楽しむことができる。

夕暮れ時、人も少なくなった庭園でのんびり佇む猫さん。

―おわり―

港の見える丘公園
所在地:中区山手町114
みなとみらい線・元町中華街駅・元町口下車(5番)徒歩1分
根岸線・石川町駅下車徒歩11分


2018-07-03 | Posted in 横浜の公園, | tag:

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