【横浜歴史画】明治期の根岸不動坂からのぞむ本牧岬の風景

JR根岸駅近くの白滝不動尊前から坂上の根岸森林公園方面まで続く「不動坂」。写真は明治期の不動坂からの風景をこの時代に横浜で活躍した写真家たちが写したもの。

開港間もない元治元年(1864)に幕府と外国人との間で結ばれた「横浜居留地覚書」により、根岸には競馬場が設立され、外国人遊歩道が通るようになった。不動坂はこの外国人遊歩道の一部をなし、ペリー艦隊が名づけた「ミシシッピ・ベイ」の名で知られた根岸湾の美しい海岸線を望む風光明媚な地として外国人に好まれた。
外国人に人気のあった不動坂からの風景は、日本における写真の黎明期に横浜で活動した多くの写真家たちのモチーフにもなり、幕末に来日し横浜にスタジオを構え日本各地の風景や風俗を写したF・ベアトをはじめ、「横浜写真」とも称された彩色写真の全盛期となる明治中頃に活躍した日下部金兵衛、玉村康三郎などが坂上から本牧岬をのぞむ風景を作品に残している。
切り立った斜面に沿って続く坂の基本的な形状は現在も変わらないが、根岸湾は埋立てられ、住宅が立ち、樹木も生い茂り、かつてのような風景を見渡すことは今となっては叶わない。明治期に撮影された写真は、かつてこの場所から見える海岸線がどのような地形をしていて、元々はどのような風景が広がっていたかを教えてくれる。

撮影者:F・ベアト(1832-1909)イタリア生まれのイギリス人写真家。幕末の文久3年(1863)に来日し、横浜にスタジオを構え日本各地の風景や風俗を撮影した。
(画像:NYPL Digital Collections蔵)

撮影者:日下部金兵衛(1841-1932)F・ベアトの助手として修業した後、弁天通に金幣写真館を開設。「横浜写真」の全盛期に活躍した。
(画像:NYPL Digital Collections蔵)

撮影者:玉村康三郎(1856-没年不明)はじめ浅草で写真スタジオを開業し、後に弁天通に移転。日本各地の風景風俗を撮影して「横浜写真」の全盛期に活躍した。
(画像:NYPL Digital Collections蔵)

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2017-10-25 | Posted in 歴史, 横浜歴史画 | tag:

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