【歴史的建造物アーカイブ】代官隧道

元町と山手を結ぶ代官坂から分かれ、老舗ダンスホール・クリフサイド前から上野町方面へと抜ける「代官隧道(代官坂トンネル)」。

代官隧道は世界恐慌による不況の中、横浜市の失業対策事業として建設され、北方町と新山下を結ぶ「見晴隧道」と共に昭和7年(1932)に開通した。当時の建設費は7万2000円だったと伝えられる。トンネルが出来る前までは、元町~上野町間は代官坂を登りきり山を越えて行かねばならず、トンネルの完成により随分便利になったという。
トンネルは幅が5.45mと狭く、トンネル内で車がすれ違うことができない為、信号が設置され交互通行が行われている。昭和初期のデザインを表す石張りで装飾された坑門(トンネル入口)には風情があり、トンネル手前の擁壁と一体となって石による重厚で独特な景観をつくりだしている。

(DATA)
建築年代:昭和7(1932)
構造/規模:コンクリート/延長121.2m・幅5.45m
設計:横浜市
指定/分類:未指定
所在地:横浜市中区元町~上野町

代官坂から分かれた先の元町側トンネル入口。

入口の脇ある老舗ダンスホール「クリフサイド」。この建物もユニークなデザイン。

昭和初期のデザインを表す石張りの坑門。

トンネル内部は改修されている。幅の狭いトンネルの片側が歩道となっている。

上野町側出口の先に元街小学校が見える。トンネル内部には元街小学校の生徒たちによる絵が飾られ明るい雰囲気。

上野町側のトンネル入口。周囲の緑や擁壁と一体になり独特な景観をつくりあげている。

 

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2017-08-22 | Posted in 歴史, 歴史的建造物アーカイブ | tag:

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