【横浜歴史画】元町百段
明治大正期の元町の町並みを写した彩色写真。前田橋を渡り今の霧笛楼あたりまで進むと、そのまま真っ直ぐ丘の上まで続く101段の急な石段があり「百段」と呼ばれ親しまれていた。浅間山と呼ばれた丘の上には浅間神社の小祠があり、茶屋や見晴台もあって港や市街地を一望することのできる名所として内外の人が訪れ賑わったという。
しかし、大正12年(1923)に発生した関東大震災によって百段は崩壊。『横浜震災志』によると<浅間坂の所謂百一段は、坂上の雨森家と共に有名なものであったが、地所約三十坪諸共顚落して、その眞下の二丁目百九十七番地より三丁目百三十二番地までの数十軒の家屋が埋没され、全滅に近き程度の死者を出した>という大惨事であった。
震災後、百段は再建されることなく、丘のふもとから当時の痕跡を見出すことは難しい。後に丘の上に往時を忍ぶ「元町百段公園」が造られ、丘の横側から尾根道をつたう高田坂から行くことでき、春には桜の大木が花を咲かせる。
前田橋から元町百段をのぞむ
丘の上にある現在の元町百段公園
(彩色写真:NYPL Digital Collections蔵)
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