【横浜の坂道】公園坂(中区)
山手公園とフェリス女学院大学10号館の間の静かな小道を進んだ先の坂上から、元街小学校南側の斜面を通り丘下の上野町へと至る「公園坂」。「公園坂」という名称は、明治3年(1870)に開園した日本最初の洋式公園である「山手公園」に由来し、明治17年(1881)に山手居留地に26か町が新設された際には町名の1つにもなった。ちなみにこの26か町は公園坂の他にも、内臺坂、貝殻坂、小坂町、汐汲坂、地蔵坂、大丸坂、高田坂、西坂町、西野坂、三ノ輪坂、南坂、宮脇坂、谷戸坂など坂の名称ばかりであったのは丘の上の町である山手らしい。
坂は今はコンクリートの階段坂となっているが、昔は狭い急坂だったという。坂の途中にはブラフ積らしき石垣のある箇所もみられ、中腹からは谷間に建物が連なる上野町の町並みを見渡す。坂下から左に曲がり道なりに進めば汐汲坂、元街小学校正門前で右に曲がれば代官隧道。坂下から右へ曲がれば妙香寺方面、と山手の様々な方向へつながる便利な坂道でもある。
山手公園とフェリス女学院大学10号館の間の静かな小道を進んだ先の坂上。
石の標識
坂上から坂下の方をのぞむ。
ブラフ積らしき石垣。
坂上をのぞむ。
小さく曲りながら階段は続く。
階段からの見渡す町の景色。
坂下。
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