【横浜の坂道】陣屋坂(中区)

外国人墓地正門前から山手の丘の南側を下り北方地区方面へのびる「陣屋坂」。坂の名はかつて付近一帯にイギリス軍が駐屯し陣営を構えていたことが由来とされる。

薩摩藩士がイギリス人を殺傷した文久2年(1862)の生麦事件を契機に、イギリス・フランス両国は自国軍隊による居留地の防衛を要求し、翌文久3年(1862)から山手に駐屯した。この内イギリス軍は港の見える丘公園付近一帯に北陣営、岩崎博物館、横浜インターナショナルスクール、山手資料館、横浜山手聖公会にかけての一帯に南陣営を構えた。陣屋坂はこの南陣営のあった位置を通っている。英仏両軍はその後明治8年(1875)まで12年間駐屯を続けた後に全面撤退した。
現在の坂は住宅や横浜インターナショナルスクールの施設が並ぶ閑静な町を真っ直ぐに貫く道で、かつてイギリス軍の陣営があった面影を見つけることは難しい。坂上の外国人墓地正門前の交差点は山手本通りと見尻坂と陣屋坂が交わる山手の要衝で休日には多くの人が行き交う。

坂下。

中ほどから坂上方面をのぞむ。

中ほどから坂下方面をのぞむ。

坂上付近。外国人墓地の正門が見える。

「陣屋坂」の標識が立つ坂上から。

陣屋坂
所在地:横浜市中区山手町

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2017-09-15 | Posted in 横浜の坂道, | tag:

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