【史跡・遺跡】鼻欠地蔵
朝夷奈切通に近い環状4号線・大道中学校バス停前にある「鼻欠地蔵」。旧六浦道沿いの岩壁に彫り込まれた磨崖仏(まがいぶつ)で、いつ頃つくられたのかなど詳しいことはわかっていないが、江戸時代の貞享2年(1685)に刊行された地誌『新編鎌倉志』にも既にその名を見出すことができ、「鼻欠地蔵は、海道の北の岩尾に、六なる地蔵を切付てあり。是より西は相洲、東は武州なり。相・武の界にあるを以て界地蔵と名く。像の鼻欠けてあり。故に里俗、鼻欠地蔵と云なり。北の方へ行く道あり。釜利谷へ出て、能見堂へ登る路なり。」と記されている。江戸時代に刊行された観光案内本『江戸名所図会』では挿絵とともに紹介されており、穏やかな表情をたたえて街道を行く人々を見守るように鎮座していた様子がうかがわれる。
鼻欠地蔵の図『江戸名所図会(巻之ニ・天璇之部)』 (国立国会図書館蔵)
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