【旧道・古道】横浜旧東海道を歩く~保土ヶ谷宿vol.1~
慶長6年(1601)に宿駅制度が定められ江戸から京の間に宿場が置かれた旧東海道。「保土ヶ谷宿」は日本橋から八里九丁(約33km)、4番目の宿場で、旧東海道最初の難所「権太坂」で知られる。江戸時代の旅路を思い浮かべながら、現在の相鉄線天王町駅付近から権太坂を経て境木地蔵尊へ至る道のりをゆく。
保土ヶ谷宿の旧東海道には古町通と1648年に整備された新町通があり、洪福寺松原商店街の端にある旧東海道と旧八王子街道の分岐点「追分」で古町通と新町通も分岐する。今回は新町通を歩く。
【江戸方見附跡(えどがたみつけあと)】
相鉄線・天王町駅から洪福寺松原商店街の方へ歩いて5分ほどの場所にある「江戸方見附跡」は保土ヶ谷宿・江戸側の出入口。
【橘樹神社(たちばなじんじゃ)】
「江戸方見附」を後にしほどなくすると「橘樹神社」の鳥居が見える。創建は1186年。江戸時代には牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれ”天王町”の名の由来でもある。本殿の裏手には横浜最古(1669年建立)といわれる「青面金剛庚申塔(しょうめんこんごうこうしんとう)」がある。
【現帷子橋と旧帷子橋】
現在の帷子橋は暴れ川であった帷子川の河川改修にともない天王町駅と橘樹神社の間の位置に架るようになったが、旧帷子橋(新町橋)は今の天王町駅前公園の場所に架かり、浮世絵の題材としても好んで描かれた。
「現帷子橋」
【保土ヶ谷駅西口商店街の通り】
大門通り近くの「香象院」、「見光寺」を過ぎ、JR保土ヶ谷駅近くまで来ると保土ヶ谷駅西口商店街が旧道になっており「問屋場跡(といやばあと)」、「助郷会所跡(すけごうかいしょあと)」、「高札場跡(こうさつばあと)」といった宿場の施設や「金沢横丁道標四基(かなざわよこちょうどうひょうよんき)」など旧道の様々な跡が見られる。
「金沢横丁道標四基」
右から1・1783年建立「円海山之道」「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻まれている
右から2・1682年建立「かなさわ・かまくら道」「ぐめうし道(弘明寺道)」と刻まれている
右から3・1814年建立「梅の名所杉田への道」「程ヶ谷の枝道曲れ梅の花 其爪」と刻まれている
右から4・1845年建立「ほうそう神富岡の芋大明神への道」と刻まれている
【本陣跡(ほんじんあと)】
保土ヶ谷駅西口商店街を抜け東海道踏切を越えると、旧東海道は一旦国道1号線と合流し、1号線沿いに「本陣跡」が見える。本陣は東海道を往来する幕府の役人や、大名、勅使、公家、宮門跡などが宿泊する施設で、保土ヶ谷宿の本陣は小田原北条家の家臣苅部豊前守康則(かるべぶぜんのかみやすのり)の子孫である苅部家が代々つとめてきた。
【旅籠本金子屋跡(はたごほんかねこやあと)】
国道1号線沿いには本陣跡から連なるように「脇本陣跡」や「旅籠本金子屋跡」が続く。「旅籠本金子屋跡」は明治2年に建て替えた建物で当時の宿場町の雰囲気が感じられる。
【大仙寺(だいせんじ)】
旅籠本金子屋跡の向かい側に国道1号線から続く路地があり、路地を進み踏切を渡ると「大仙寺」がある。開山は平安時代の970年頃といわれ、保土ヶ谷区内で最も古い寺の一つ。本陣・脇本陣・茶屋本陣等の菩提寺で、保土ヶ谷宿一の女傑「力持ちお伝」の墓もある。
【松並木と一里塚】
大仙寺を後にし国道1号線を400mほど進むと今井川に沿って「松並木」が現れる。保土ヶ谷区制80周年記念事業の一つとして32本の黒松が植えられて平成19年に復元されたプロムナードで、一里塚もあわせて復元された。
【外川神社(とがわじんじゃ)】
一里塚の近くに今井川に架かる仙人橋があり、ここを渡ると「外川神社(とがわじんじゃ)」がある。ご神木のケヤキは横浜市の名木・古木に指定されている。保土ヶ谷宿の京都側の出入口である「上方見附(かみがたみつけ)」は外川神社の前にあったとされており、天王町の「江戸方見附」から「上方見附」までの19町(約2km)が保土ヶ谷宿の中央部「宿内(しゅくうち)」とされる。
終~横浜旧東海道を歩く 保土ヶ谷宿vol.1(江戸方見附~外川神社)~
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