【旧道・古道】横浜旧東海道を歩く~戸塚宿vol.1~

隣宿の保土ヶ谷宿・藤沢宿に遅れること3年、慶長9年(1604)に成立した「戸塚宿」。日本橋から10里半(約42km)・5番目の宿場町で、江戸を発った旅人の最初の宿泊地として賑わい、『東海道中膝栗毛』では弥次さん喜多さんが最初に泊まった宿としても知られる。また江戸時代の人気観光「大山詣り」などへ行く道の分岐点としても多くの人が往き交ったという戸塚宿。当時の旅路を思い浮かべながら、vol.1では現在の東戸塚駅近く、環状2号線裏手の旧道に残る「品濃一里塚」から戸塚宿の入口「江戸方見附」へ至る道のりを行く。

【品濃一里塚】
武蔵国と相模国の境界にあった「境木地蔵尊」から「焼餅坂」を下りしばし歩くと、徐々に道が細くなり切通しのようになっている場所があらわれる。道の両側に残るこんもりと小高いこの丘が「品濃一里塚」で、江戸から9番目の一里塚。神奈川県内ではほぼ完全な形で残る唯一の一里塚であり、県の指定史跡にもなっている。
戸塚宿1-THE YOKOHAMA STANDARD

戸塚宿2-THE YOKOHAMA STANDARD

【品濃坂】
一里塚を後にし、並行して走る表通りの環状2号線とは別世界ののどかな雰囲気が残る旧道を進むと品濃坂上へ出る。現在は環状2号線が品濃坂を分断し当時の面影は少ないが、かつては権太坂とともに保土ヶ谷宿・戸塚宿間の難所として知られた。

戸塚宿3-THE YOKOHAMA STANDARD

【海道橋~赤関橋】
品濃坂を下り「川上川」に沿って進むと、「海道橋」の架かる地点で国道1号線と交差するが、ここではこれを横切りすぐにまた旧道へと入る。程なくして、右手の川上川が曲がり旧道から離れてゆくと同時に、今度は左手から「平戸永谷川」が現れ道中を伴走する。しばし歩くと国道1号線に一瞬合流するも、橋上でY字に分岐するユニークな形態の「赤関橋」で国道1号と分かれ、旧道の続く裏道を進んでゆく。

川上川
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海道橋
戸塚宿5-THE YOKOHAMA STANDARD

平戸永谷川
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赤関橋
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【上柏尾町~柏尾町】
「赤関橋」を過ぎ、上柏尾町の丘の麓に続く旧道を進むと再び国道1号線に合流。大きな工場がいくつも建ち並ぶ一方、昔ながらの布団屋などもある通りを進む。
戸塚宿8-THE YOKOHAMA STANDARD

戸塚宿9-THE YOKOHAMA STANDARD

【王子神社】
ポーラ前バス停近くのそば屋の脇からこんもりとした丘に沿って続く小道を進むと「王子神社」の参道入口がある。参道には見事な杉が立ち並び、周囲の世界とは隔絶された静寂がある。祭神は後醍醐天皇の皇子(息子)で、鎌倉幕府の倒幕に活躍し征夷大将軍となった護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)。倒幕後、足利尊氏と対立し、尊氏の弟直義の家臣である淵辺義博によって暗殺されたが、とられた首を侍女が持ち去りこの地の豪族斉藤氏に助けを求め、王子神社にて葬られたと伝えられる。近隣には護良親王の首を洗い清めたといわれる「首洗い井戸」がある。
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【大山前不動】
王子神社から国道1号に戻り、不動坂交差点の手前で脇道を30mほど進むと「大山前不動」がある。かつてこの地は江戸時代における人気の観光地であった大山へ至る大山道に分岐する交通の要衝であった。お堂にある江戸期の道標などは近代になってから現在地に集められたものと考えられている。
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複数の道路が複雑に交差する渋滞の名所「不動坂交差点」。「益田家のモチノキ」を目印に向かって一番左の旧道を進む。
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【鎌倉ハムのレンガ倉庫】
国道1号の喧騒からしばし離れ旧道を進むと、ほどなくして重厚な赤レンガの建造物が姿をあらわす。この建物は明治20年にこの地で発祥した「鎌倉ハム」の倉庫で、みなとみらいの赤レンガ倉庫とほぼ同時期の大正7年建造とされる。”戸塚”であるのに”鎌倉”ハムと称するのは、当時戸塚は鎌倉郡に属していたことから。この地でホテルを営む英国人カーティスから当地の齋藤満平氏が製法を伝授されハムの製造を始めたという。
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【元舞橋と五太夫橋】
鎌倉ハムの赤レンガ倉庫を後にし旧道を進むと舞岡川に沿った道に出る。川に沿ってしばし歩くとほどなくして「五太夫橋」があり、ここでまた国道1号線に再合流する。「五太夫橋」は、小田原後北条氏の家臣で、北条氏滅亡後今の泉区中田町に蟄居させられていた石巻五太夫康敬(いしまきごだゆうやすまさ)が、江戸へ入る徳川家康をこの橋付近で迎えたと伝えられることが橋の名の由来とされる。

元舞橋から眺める舞岡川
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五太夫橋
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【宝蔵院】
五太夫橋から少し先、ブリヂストン前バス停すぐの国道1号に面して「宝蔵院」がある。天文16年(1547)に阿闍梨朝興法印が東峰山光円寺として中興し、後に現在地へ移転して東峰山金剛寺と号したとされる。戸塚宿七福神では毘沙門天が祀られている。
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【江戸方見附】
宝蔵院を後にし程なくすると、遂に戸塚宿の「江戸方見附跡」に到着。現代においては国道沿いのファミレス前が江戸方見附となっている。品濃一里塚を出発してからここまで約1里(約4km)。これより大阪下の「上方見附」まで21町(約2.3km)が戸塚宿の中央部「宿内(しゅくうち)」とされる。

戸塚宿18-THE YOKOHAMA STANDARD

終-横浜旧東海道を歩く 戸塚宿vol.1(品濃一里塚~江戸方見附跡)-

 

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2016-01-19 | Posted in , 旧道・古道 | tag:

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