【横浜歴史画】歌川広重の金沢八景
内陸へ深く入り込む海と山や島が織りなす美しい景観が人々を魅了し、江戸時代には人気の景勝地であった金沢八景。浮世絵の巨匠・歌川広重の筆からうみだされた四季折々の情感豊かな錦絵から、ありし日の金沢の姿を思い浮かべることができる。
金沢を代表する八つの景勝地「金沢八景」の地所が確立したのは、江戸時代に中国から渡来し、“水戸黄門”こと水戸光圀の手厚い庇護を受けた東皐心越(とうこうしんえつ)禅師が金沢を訪れたおり、能見堂からの眺望の美しさを中国湖南省の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)になぞらえて八編の詩を詠んだことに始まるとされる。以来「洲崎晴嵐(すさきのせいらん)」、「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」、「小泉夜雨(こずみのやう)」、「乙舳帰帆(おっとものきはん)」、「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」、「平潟落雁(ひらかたのらくがん)」、「野島夕照(のじまのせきしょう)」、「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」の八勝を指す「金沢八景」は広く世に知られるものになった。金沢遊覧人気がピークとなったのは文化・文政年間(1804-1830)の頃から。当時は大山詣・鎌倉詣・江の島詣とあわせて金沢八景を巡るコースが人気で、保土ヶ谷で東海道から分かれ蒔田~弘明寺~上大岡~能見台と続く金沢道を通って金沢へ至ると、瀬戸橋近くの料亭「東屋」をはじめ旅籠屋や料理屋が立ち並び大いに賑わったという。
歌川広重が金沢八景を描いたのは江戸時代後期の天保年間の頃とされる。海、山、島、木々、舟、人などが織りなす四季折々の八景を、精緻な筆致で情感豊かに描き、末代まで続く金沢八景のイメージを創りだした。以下は、広重が描いた金沢八景ものの中でも代表的な金龍院版。絵には京極高門(1658-1721)による和歌が刻まれている。
「洲崎晴嵐(すさきのせいらん)」(絵:国立国会図書館蔵)
賑へる 洲崎の里の 朝けぶり 晴るる嵐に たてる市人
「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」(絵:国立国会図書館蔵)
よるなみの 瀬戸の秋風 小夜ふけて 千里の沖に すめる月かげ
「小泉夜雨(こずみのやう)」(絵:国立国会図書館蔵)
かぢまくら とまもる雨も 袖かけて 涙ふる江の むかしをぞ思ふ
「乙舳帰帆(おつとものきはん)」(絵:国立国会図書館蔵)
沖津舟 ほのかに見しも とる梶の 乙艫の浦に かへる夕波
「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」(絵:国立国会図書館蔵)
はるけしな 山の名におふ かね沢の 霧よりもるゝ 入あひの声
「平潟落雁(ひらかたのらくがん)」(絵:国立国会図書館蔵)
跡とむる 真砂に文字の 数そへて 塩の干潟に 落る雁かね
「野島夕照(のじまのせきしょう)」(絵:国立国会図書館蔵)
夕日さす 野島の浦に ほす網の めならぶ里の あまの家々
「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」(絵:国立国会図書館蔵)
木陰なく 松にむもれて 暮るるとも いざしら雪の みなと江のそら
※地図はおおよその目安です
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