【横浜歴史画】神名川横浜新開港図

6月2日は横浜の開港記念日。画は開港後間もない本町通りを描いた五雲亭貞秀による横浜浮世絵『神名川横浜新開港図』。一寒村にすぎなかった横浜村が急速に発展し賑わう様子が描かれている。

(横浜開港)
産業革命後、各地を植民地化しながらアジア進出を強めるヨーロッパ列強は、日本にも開国を迫った。ペリーが来航し安政元年(1854)に日米和親条約が締結され、その後安政5年(1858)にはアメリカをはじめオランダ、ロシア、イギリス、フランスと通商条約が締結され開国を余儀なくされた。日米修好通商条約において開港場は「神奈川」であり「横浜」とは記されていなかったが、地形や治安上の問題から幕府は神奈川宿を避け、神奈川の一部として横浜村を開港場に選定。大急ぎで波止場、奉行所、運上所、道路、橋などを建設し、安政6年6月2日(新暦1859年7月1日)に横浜は開港した。その日、特に記念行事のようなものはなく、開港前日に入港したアメリカ船のワンダラー号と、当日に入港したオランダ船シラー号が入港手続きを行ったという。少々寂しい開港であったが、いざ開港を果たした横浜は国際貿易港として急速に発展。開港翌年の万延元年(1860)には 貿易額が全国の7割を占めるほどになり日本最大の貿易港となった。

五雲亭貞秀による『神名川横浜新開港図』の出版もまた開港翌年の万延元年(1860)。当時のメイン・ストリートである本町通りを描いたもので、一寒村にすぎなかった横浜村が開港から1年で急速に発展し、当時の主要な輸出品である生糸を積んだ荷車など、人やモノが旺盛に行き交い賑わう町の様子が描かれている。

『神名川横浜新開港図』五雲亭貞秀画 万延元年(1860) [国立国会図書館蔵]
異国の風物に対する好奇心から横浜の風景や外国人の風俗などを題材にした錦絵は「横浜浮世絵」と呼ばれ人気を博した。中でも五雲亭貞秀はその第一人者として知られ、万延元年(1860)に出版された『神名川横浜新開港図』は横浜浮世絵最初期の作品といわれる。

神名川横浜新開港図

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2016-06-01 | Posted in 横浜歴史画 | tag:

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