【横浜の寺】金蔵寺
日吉駅西口から放射状に分かれる道のうち普通部通りを進み、日吉台小学校を経て赤門坂と呼ばれる坂を下りしばし進むと、”日吉”という地名の由来となった「日吉山王権現」が祀られている古刹「金蔵寺(こんぞうじ)」がある。
金蔵寺は天台宗の寺院で、平安時代の貞観年間(859~877)に弘法大師の甥である智証大師(円珍)によって開山されたと伝えられる。江戸幕府による武蔵国の地誌『新編武蔵国風土記稿(巻之六十五・橘郡之八)』では、<江戸寛永寺の末寺で清林山佛乗院と号し、本堂には智証大師の作であるという本尊不動を安置、古くは三井寺派にて東三井寺と称し弥勒を本尊としたが、火災によって焼失し開山開基についてもよく分かっておらず、その後家光公の代に十石七斗余りの御朱印を与えられた>などと記されている。また、本堂の裏山に「山王社(日吉社)」があると伝えている。
明治になり今の「日吉」は神奈川県橘樹郡に属していたが、明治22年(1889)に市制町村制施行にともない、矢上・駒林・駒ヶ橋・箕輪・小倉・南加瀬・鹿島田の7村が合併され、この際に日吉山王権現にちなんで「日吉村」が誕生した。日吉村はその後昭和12年(1937)に横浜市と川崎市に分割され、川崎市側にも「日吉地区」がある。
町から離れ山を背に静寂な時の流れる境内。裏山をのぼる道沿いの祠には、今も日吉山王権現が祀られており、石碑に地域の由来が記されている。
本堂に向かう参道「桜大門」
金蔵寺入口
本堂と燈籠。灯篭には「一隅を照らす」と記されている。
水天堂
鐘楼。大梵鐘は徳川家康、秀忠が寄進したという。
弁天堂
日吉山王権現
金蔵寺
所在地:横浜市港北区日吉本町2-41-2
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