【歴史的建造物アーカイブ】井伊直弼像台座及び水泉
西区紅葉ケ丘・掃部山公園(かもんやまこうえん)の頂上にそびえ立つ井伊直弼像。“掃部山(かもんやま)”という名は井伊直弼が”掃部頭(かもんのかみ)”と称していたことに由来している。彦根藩主にして幕府の大老であり、日米修好通商条約を締結、安政の大獄にて反対勢力を退け、最後は桜田門外の変にて斃れた井伊直弼。像が横浜にあるのは、”開港”という井伊直弼の功績にゆかりのある地として旧彦根藩士たちがこの地を選び、横浜開港50周年記念の明治42年(1909)に像を建立したことによる。
横浜市認定歴史的建造物として認定されているのは、台座と像近くにある水泉(像本体ではない)。台座の設計は旧横浜正金銀行(神奈川県立歴史博物館)を設計した妻木頼黄。石造りのどっしりとした台座は、旧横浜正金銀行の角型の柱に通じるものがある。関東大震災では台座が25度傾いたものの耐え抜いた井伊直弼像であったが、第二次世界大戦中の昭和18年(1943)に金属回収のために撤去されてしまった。現在の像は2代目であり、昭和29年(1954)の開国100年祭に際して横浜市が依頼し鋳造家の慶寺丹長父子によって復元鋳造されたものである。
幕末の動乱に厳しい態度で臨んだ一方で風流人でもあった井伊直弼。桜の名所であり、横浜能楽堂もある風流な掃部山公園で、今日も眼光鋭く横浜を見渡している。
(DATA)
建築年代:明治42(1909)
設計/施工:<台座>妻木頼黄/中野喜三郎、<水泉>不詳
指定/分類:横浜市認定歴史的建造物(平成24.3.28)
所在地:西区紅葉ヶ丘掃部山公園内
(写真撮影:2014.9)