【旧道・古道】横浜旧東海道を歩く~保土ヶ谷宿vol.2~
箱根駅伝でも2区の難所として有名な「権太坂」。しかし箱根駅伝のコースは新道である国道1号線の権太坂で、浮世絵にも描かれた本来の権太坂は旧道にあり、勾配も国道1号線よりきつい。「横浜旧東海道を歩く~保土ヶ谷宿vol.2~」ではいよいよ旧東海道の権太坂を越え目的地の境木地蔵尊を目指す。
「本陣跡」から国道1号線と合流してきた旧東海道は、「松並木」を経て保土ヶ谷二丁目交差点から再び分かれ旧道に入る。
【樹源寺(じゅげんじ)】
旧道に入り300mほど歩くと右手に「樹源寺」の石段と山門が見えてくる。古くは鎌倉時代に建てられた東方山医王寺という大寺であったが焼失し廃寺となっていたところ、1628年に苅部家により身延山久遠寺の末寺として開山。「樹を源にするお寺」という樹源寺の由来となった樹齢700年の大ケヤキは昭和46年に枯れてしまったが、現在も伝統は引き継がれ境内には横浜市の名木古木に指定されている木々をはじめ緑があふれる。
樹源寺を後にし「帝釈天堂」、「旧元町橋跡」を過ぎ、現在の元町橋を渡ると旧道「権太坂」の入り口にさしかかる。
【権太坂(ごんたざか)】
旧東海道最初の難所「権太坂」。昔は行き倒れが出るほど急こう配の厳しい坂であったという。名前の由来は、旅人が老人に坂の名を尋ねたところ、自分の名を聞かれたと思い「権太だ」と答えたという説と、坂を開いた権左衛門の名から取った「権左坂」が転じたものという説がある。難所であると同時に松並木が続き富士を望む風光明媚な場所としても知られ、葛飾北斎「富嶽三十六景 東海道程ヶ谷」など浮世絵の題材としても描かれた。
「一番坂」
【境木立場跡(さかいぎたてばあと)】
権太坂を登り切ると道はなだらかになり、境木中学校前のT字路を曲がりまもなくすると、形のおもしろい大きな木が見え、その向かいに「境木立場跡」がある。”立場”とは宿と宿の間にある休息所。境木立場は西に富士、東に江戸湾を望む景色の良い名所として知られ、茶屋で出す”牡丹餅”は境木名物として有名であった。
「境木立場跡」
【境木地蔵尊(さかいぎじそうそん)】
境木立場跡のすぐ隣が保土ヶ谷宿最後の目的地「境木地蔵尊」。”境木”という地名はかつて地蔵堂境内にケヤキの大木があり、同時にこの場所が武蔵国と相模国の国境であったことから名づけられたという。創建は1659年。道中の安全を祈る多くの旅人たちが参拝したという。
道のりの最後にお地蔵さまの穏やかな表情に出会い、心地良い疲れを感じつつ1里9丁(約5km)の小さな旅を終えた。境木地蔵より先は戸塚宿の管轄となる。
終~横浜旧東海道を歩く 保土ヶ谷宿vol.2(樹源寺-権太坂-境木地蔵尊)~
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