【横浜の坂道】西野坂 [フェリス坂](中区)
元町方面からフェリス女学院に沿って丘の上の山手本通りまで続く長い長い階段坂「西野坂」。フェリスの女子学生達が日々上り下りする通学路であることから通称”フェリス坂”と呼ばれている。
フェリス女学院は明治3年(1870)にヘボンの施療所で宣教師メアリー・E・キダーが英語の授業を行うことから始まったとされ、これは日本における近代女子教育の先駆けであった。明治8年(1875)には現所在地である山手町178番地に校舎と寄宿舎が完成し『フェリス・セミナリー』と名づけられた。尚、坂の名称である「西野坂」は明治17年(1884)に山手居留地に新設された26か町の一つで、明治32年(1899)にこれら26か町を廃し山手町が新設されている。
現在の階段には手すりが設置され綺麗に整備されているが、坂の途中の通用門近くには苔むす古いブラフ積擁壁が残されており、この坂の長い歴史を感じさせてくれる。明治の頃から多くの女子学生たちが日々上り下りしてきた階段は、今日も変わることなく通学路として使われ、なおも歴史を刻み続けている。
坂下
坂から元町・石川町方面を望む
坂の中ほど、学校の通用門のあたり
このあたりには古いブラフ積の擁壁が一部残っている
古い階段にカバーをかけたような造りの階段
通用門前から坂上方面を望む
振り返れば結構高い位置まで上ってきた
階段頂上から坂下を望む。ここまで一気に上ると結構足にくる。
階段を上りきれば山手本通りまでもうわずか
山手本通りからの風景
西野坂 [フェリス坂]
中区元町5丁目~山手町
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