【横浜歴史画】杉田梅林

かつては横浜が誇る関東随一の梅の名所とも称えられた「杉田梅林」。歌川広重らによる錦絵から当時の観梅の様子をうかがい知ることができる。

【杉田梅林】
杉田梅林は天正年間の頃(1573~1592)、杉田村領主の間宮信繁(まみやのぶしげ)が穀類の育たない付近一帯の土地に梅の植樹を奨励し、果実を収穫して村の産業としたことが始まりとされ、元禄の頃(1688~1704)には梅の名所として知られるようになった。東海道から分かれ金沢や鎌倉へ向かう道中に立寄る名所として人気で、歌川広重などの浮世絵師や、『杉田村観梅記』の佐藤一斎、『杉田日記』の清水濱臣など文人にも多く取り上げられるなど関東随一の梅の名所として称えられた。
明治維新の頃にも3万数千株の梅があったとされ、明治17年と19年には英照・照憲両皇太后が観梅に行啓された。この時ご覧になった妙法寺の枝垂れ紅梅の古株”照水梅”は今も妙法寺の境内で見ることができる。
当時は酒肴をのせた海上の舟からの観梅も人気で、本牧から富岡の出崎まで屏風を立てたように断崖が連なる風光明媚な景観とともに、辺り一面白雪のように梅が咲き誇る風情を楽しんだという。当時描かれた浮世絵からはこうした当時の風雅な観梅の様子をうかがい知ることができる。
横浜が誇る杉田の梅であったが、塩害や古株の老衰、戦後の宅地化などにより梅は激減。現在では妙法寺のほか地域内でわずかに見られるだけとなり往時の面影を見つけることは難しい。

『富士十二景 杉田梅林』 歌川広重(國寶社出版「江都八景及富士十二景」より) [国立国会図書館蔵]
歌川広重による肉筆画。断崖の山下に広がる梅林の様子を海上から描いている。画はモノクロ調だが本来は淡い青・灰・白などの色調で描かれている。

冨士十二景 杉田梅林-THE YOKOHAMA STANDARD

『東都花暦十景 東都花暦・杉田ノ梅』 渓斎英泉 [国立国会図書館蔵]

東都花暦・杉田ノ梅-THE YOKOHAMA STANDARD

『誹諧七福神之内 福禄寿』香蝶楼豊国(四代目歌川豊国) [国立国会図書館蔵]

誹諧七福神之内 福禄寿-THE YOKOHAMA STANDARD

現在の妙法寺

杉田梅林-THE YOKOHAMA STANDARD

THE YOKOHAMA STANDARD ウェブサイト


2016-02-25 | Posted in 横浜歴史画 | tag:

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