【横浜歴史画】浅間神社

横浜駅から近い旧東海道沿いに古より鎮座する「浅間神社」。かつて境内西側には富士山まで通ずるといわれ「富士の人穴」と呼ばれた横穴墓があり、江戸時代のベストセラー観光ガイドブック「江戸名所図会」でも名所の一つとして取り上げられるなど、多くの旅人が立寄り見物したという。

【浅間神社】
かつては”袖ヶ浦”と呼ばれ、入海の広がる風光明媚な地として知られた横浜駅周辺一帯。入海に沿って続く旧東海道沿いにあった「芝生村(しぼうむら)」が後の「浅間町」で、神奈川宿と保土ヶ谷宿の間にあり、甲州街道に分岐する地点(芝生の追分)でもあったことから、人馬の休憩所「立場(たてば)」として賑わったという。
付近一帯の鎮守で今もこの地にある「浅間神社」の創建は、承暦4年(1080)に富士山より木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の分霊を勧請したことに始まるとも、文治元年(1186)に源頼朝が社殿を築造し創始したとも伝えられる。本殿のある丘は”袖すり山”と呼ばれ、境内西側にあり富士山まで通ずるといわれた横穴墓「富士の人穴」は、東海道中の名所として知られ多くの旅人が立寄り見物したという。現在は周辺開発により見ることができない「富士の人穴」だが、「江戸名所図会」に描かれた長谷川雪旦による挿図から当時の姿を見ることができる。
前述のごとくかつて芝生村(しぼうむら)と呼ばれていた浅間町であるが、明治34年(1901)の横浜市編入の際に地域住民が「芝生」は「死亡」に通じるとしてこれを嫌い、地域の鎮守である浅間神社から名を取り「浅間町」と改められたとされる。

『江戸名所図会』巻之ニ 天璇之部 絵:長谷川雪旦(国立国会図書館蔵)
手前が旧東海道。画面中程の左手に「富士の人穴」が描かれている

江戸名所図会 浅間神社

参考・歌川広重『東海道五十三次細見図会 神奈川』より(国立国会図書館蔵)
入江に沿って旧東海道が続く当時の横浜駅周辺の様子。画面上方に”せんげん社”とある。

東海道五十三次細見図会 神奈川

現在の浅間神社

浅間神社-THE YOKOHAMA STANDARD

 

浅間神社2-THE YOKOHAMA STANDARD

THE YOKOHAMA STANDARD ウェブサイト


2016-03-18 | Posted in 横浜歴史画 | tag:

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