【横浜の坂道】大丸縄文坂(南区)
六つ川台小学校と六ツ川中学校に挟まれた坂下からこども植物園方面を結ぶ「大丸縄文坂」。坂名は大丸式縄文土器で知られる近隣の大丸遺跡に由来する。
南区六ツ川三丁目付近にあった大丸遺跡は、約9千年前の縄文時代早期の集落の遺跡で、昭和26から27年にかけて明治大学考古学研究室により発掘調査され、多数の土器や礫器が出土した。出土した土器の中には、撚り紐を巻きつけた棒を転がしつくる撚糸文という模様が施され、底が尖った尖底土器があり、地名にちなみ大丸式縄文土器と命名された。遺跡からは魚の骨やサメの歯も発見されており、温暖化が進んだこの時代にはこの丘の近くまで海が入り込んでいたことを示しているという。大丸遺跡はその後の宅地開発により失われたが、発掘した土器などは明治大学考古博物館で保管されている他、六ツ川台コミュニティハウスでも資料や土器が展示されている。
坂はかなりの急坂で、谷底近くの急勾配では車が坂に張り付いているようにみえるほど。坂の途中に鉄塔が立つ箇所は島状になっていて、ここだけ道路が二手に分かれているのも珍しい。急勾配の深いV字型地形、鉄塔、電線、2カ所の島などが相まってつくる風景はどこか懐かしくもシュールな雰囲気の空間で、夢に出てきそうな独特な風景の坂道。
六つ川台小学校と六ツ川中学校に挟まれた坂下。坂下だがV字の谷底から上った地点が坂下となる。
谷底近辺は勾配がきつめ。
坂の途中にある大丸町内会前から、坂下方面をのぞむ。
大丸町内会前に設置されている「大丸式縄文土器の碑」。
坂下方面をのぞむ。
坂の途中に2つある鉄塔の立つ島。向かって左が上り車線。右が下り車線となっている。
大丸縄文坂の標示板。
坂上側にある2つ目の鉄塔島には郵便ポストが設置されている。
そびえ立つ鉄塔。
坂上近くから振り返る。
坂上付近。坂上から左に曲がればすぐにこども植物園の入口。
大丸縄文坂
所在地:横浜市南区六ツ川3
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