【横浜の橋】吉野橋
大岡川と中村川の分岐点近くの中村川筋に架かり、鎌倉街道を渡す「吉野橋」。関東大震災後の大正15年(1926)に竣工した震災復興橋梁で、”復興式”と称される鉄筋コンクリート・アーチ形のアバット(橋台)が特徴的なプレート・ガーダー橋。平成3年(1991)にはかながわの橋100選に選定されている。
『横浜復興誌』によると、橋名は当初「新葭谷橋(しんよしやばし)」、または「元堰橋(もとせきばし)」とする案があったが、計画途中で橋の架設位置の町名が「吉野町」となったことにより、地元住民が「吉野橋」の名称を希望しこれに決まったという。尚、当初案の「元堰橋」とは、この地が釣鐘の形をした吉田新田の頂上にあたり、かつて新田の用水路の取水口となる「大堰」があったことによるものであった。
かつては橋の上を弘明寺までのびる横浜市電が走っていた吉野橋。昭和61年(1986)に親柱に設置された石版には以下の言葉が記されている。『・・・橋令六十有余年 風雪に戦災に近年の重交通に耐え市内の重要な橋としてその役割を果たしてきました・・・』。さらに30年の月日が経ち、橋令90年となった吉野橋は、今日も変わることなく日々の往来を支え続けている。
吉野橋
所在地:横浜市南区吉野町~宮元町
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