【横浜の神社】瀬戸神社
京急線・金沢八景駅からほど近く、鎌倉幕府の外港として栄えた六浦津と鎌倉と結ぶ旧六浦道に面し、平潟湾を望む地に古より鎮座する瀬戸神社。かつては瀬戸橋より北側にも入海が広がっていたが、瀬戸橋付近は干満時に急流となる狭い海峡であった為、この地に海神を祀ったのが瀬戸神社の起源とされる。社伝によると治承4年(1180)に源頼朝が伊豆三島明神をこの地に勧請したという。中世では北条氏・足利氏の崇敬を受け、後には徳川家康も自ら参拝し百石の社領を寄進している。
神社には数々の神像をはじめ多くの文化財が残されており、とりわけ源実朝が使用したという”抜頭面”と”陵王面”の「舞楽面二面」は、水戸家の徳川斉昭が模造させるなど古くより世に知られ、平成12年(2000)に国の重要文化財に指定されている。境内に横たわる「蛇柏槙(じゃびゃくしん)」は延宝8年(1680)の大暴風で倒れた古木で、江戸時代に刊行された観光案内本『江戸名所図会』においても<其樹長大にして、龍蛇の起伏するが如し>などと伝えられている。また、カヤの古木は樹齢750年とも伝えられ横浜市の名木古木に指定されている。国道16号を隔てて陸側にある「琵琶島」は弁財天を祀る神社で瀬戸神社に属する摂社。
『江戸名所図会』に描かれている境内の挿絵と見比べてみると、往時の姿がよく残されていることがわかる瀬戸神社。平潟湾の最奥地となった場所で、古木やゆかりと品々とともに、変わりゆく金沢八景の中にあって歴史を今に伝えている。
現在の社殿は寛政12年(1800)の建立によるもの。
社殿背後の地層が露出した崖面には、やぐらがつくられている。
瀬戸明神社の図『江戸名所図会(巻之ニ・天璇之部)』 (国立国会図書館蔵)
瀬戸神社と周辺の図『新編鎌倉志(巻之八)』 (国立国会図書館蔵)
“抜頭面”と”陵王面”の舞楽面二面は、、江戸時代後期の文化・文政期に刊行された新編武蔵国風土記稿においても図で紹介されている。『新編武蔵国風土記稿(巻之七十四・久良岐郡二金澤領)』(国立国会図書館蔵)
延宝8年(1680)の大暴風で倒れた古木「蛇柏槙(じゃびゃくしん)」。うねるような迫力あるフォルム。
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