【史跡・遺跡】こどもの国 田奈弾薬庫跡
第二次世界大戦中に弾薬庫として使われた跡地をこどもたちのための施設として整備し昭和40年に開園した「こどもの国」。今も園内あちこちの土手沿いには、石垣で固められた入口に緑の鉄扉のあるほら穴のような弾薬庫跡を見ることができる。
多摩丘陵の自然豊かで起伏に富んだこどもの国の敷地は、第二次世界大戦中には弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・同填薬所)として利用されていた。弾薬を輸送する為に鉄道引き込み線が敷設されたていたが、長津田駅とこどもの国駅を結び運行されている東急こどもの国線はこの線の一部を利用したもの。
戦時中の学徒動員では県立横浜第2中学(現・県立翠嵐高校)や神奈川高等女学校(現・神奈川学園)の生徒達が作業に従事。空襲は受けなかったが移動中のトラックが川へ転落する事故が起き横浜第2中学の学生6名が亡くなり、また敷地内の爆発事故で女学生が片足を失う大けがを負った。
戦後、施設は米軍によって接収され引き続き田奈弾薬庫として使われたが、昭和36年(1961)5月5日に米軍から返還された。敷地の返還を受け、皇太子殿下(現天皇陛下)のご結婚を記念して全国から寄せられたお祝いを基金にこどもたちのための施設として整備され、昭和40年(1965)5月5日のこどもの日に「こどもの国」として開園した。
自然豊かな広大な敷地で様々なレジャーを楽しむことのできるこどもたちの施設であると同時に、歴史を今に伝える貴重な横浜の戦争遺跡が残されている場所でもある「こどもの国」。左右2ヶ所に入口があり内部でコの字型になっている構造の弾薬庫は、33基つくられた内の10基が残り、現在は倉庫や変電所などとして使用されている。
※写真は内周道路沿いに確認できる9基(牧場前から反時計回り)
こどもの国
所在地:横浜市青葉区奈良町700
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