【横浜の坂道】地蔵坂(中区)
山手の丘を越えて関内方面と本牧・根岸方面を結ぶ主要な坂道の一つである「地蔵坂」。古くから坂に祀られている地蔵尊が坂の名の由来とされる。
「地蔵坂」は山手居留地に新設された26か町の一つで、明治32年(1899)にこれら26か町を廃して山手町が新設された。交通の要衝であるとともに難所としても知られ、人力車や荷馬車を後押しする者たちが必死に往き来したという。明治から大正にかけて界隈は非常に賑わい、坂下の鶴屋呉服店(のちの松屋百貨店)を中心に商店が軒を連ね、四のつく日には縁日も開かれ多くの人で賑わったという。
坂は約450mの長い坂道で、坂の中程にある蓮光寺付近から徐々に傾斜がきつくなり、右へ左へカーブしながら坂上へと至り、坂上で山手本通り・麦田町方面へ続く桜道と複雑に交差する。坂の途中からは「小坂」や「乙女坂(西坂)」が延びていて、それぞれイタリア山庭園方面、横浜共立学園・横浜女学院方面へと続いている。坂のシンボルであるお地蔵さまは、関東大震災による亡失や再建などの変遷を経て、現在は坂下の亀の橋脇に安置されている。
坂下の地蔵尊
地蔵坂
所在地:中区石川町3丁目と石川町2丁目・山手町との境
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