【横浜の坂道】大丸谷坂(中区)
石川町駅南口近くの郵便局から、鎌のように大きなカーブを描きながら山手イタリア山庭園方面へと続く急な坂道「大丸谷坂(おおまるだにざか)」。古くは「大丸坂」と呼ばれ、明治17年(1884)に山手居留地に新設された26か町の町名の一つでもあった。
現在は住宅の連なる落ち着いた通りであるが、かつてこの界隈は大正から昭和初期にかけて「チャブ屋」が軒を連ねたことでも知られる。「チャブ屋」とは簡易食堂を意味する英語の”チョップ・ハウス”が転じたものとされ、ダンスホールと娼館を兼ねたような場所であったが、大丸谷では戦後になると姿を消した。大正12年(1923)の関東大震災の時には、この坂から高台に避難する人々が殺到したが、迫る炎の猛威に27名の犠牲者を出したとされ、坂の途中に碑文ととももに地蔵尊が祀られている。見晴らしの良い坂の頂上からは、谷間に延びる坂の様子を一望することができる。
大丸谷坂
所在地:中区石川町1丁目と2丁目の境界付近
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