【YOKOHAMA SNAP】開業90周年を迎えたホテルニューグランド

横浜を代表する老舗ホテル「ホテルニューグランド」は関東大震災によって廃墟と化した街の中から誕生したホテルである。

かつての山下町界隈には、現在の山下町1番地に商館を建てたジャーディン・マセソン商会の英一番館を皮切りに、数多くの外国商館やホテルなどが立ち並び、外国のような美しい街並みが形成されていた。しかし、大正12年(1923)に発生した関東大震災は街の風景を一変させ、ほとんどの建物が崩壊し美しい街並みは廃墟と化した。震災後、国際港都たる横浜において全滅したホテルを復興する要求が高まった。当時の有吉忠一市長の下、横浜の官民が一体となって協力し合い外国人ホテルの再建がなされ、震災から4年後の昭和2年(1927)12月1日にホテルニューグランドは開業した。昭和5年(1930)には同じく震災後の復興事業として山下公園が開園し、両者はともに横浜復興のシンボルとなった。

本館建物の設計は上野の国立博物館、日比谷の第一生命館、銀座の和光の設計で知られる渡辺仁。外観・内部ともに創建当時の姿をとどめており、平成14年(1992)には横浜市の歴史的建造物にも認定されている。開業時より「最新式の設備とフレンチスタイルの料理」を喧伝し、パリから料理長としてサリー・ワイル氏を招聘して、横浜にいち早く本格的なフランス料理とホスピタリティ溢れるサービスを導入して人気を博した。チャップリンやベーブ・ルースが訪れ、作家・大佛次郎が常宿とするなど、国内外から多くの著名人が滞在したという。第二次世界大戦では横浜大空襲の戦火を凌ぎ、戦後はマッカーサーの最初の宿舎となったことはよく知られている。マッカーサーが東京に移った後も、米軍による接収は続いたが、昭和27年(1952)に接収が解除され、ホテルとしての復活を果たし現在に至る。

関東大震災という惨劇の中から誕生し、横浜を代表するホテルとなった「ホテルニューグランド」。平成26年(2014)にはクラシカルなネオンサインを復活させ、平成28年(2016)年にはさらなる100年を見据えるという耐震改修工事が行われるなど、さまざまな側面から伝統を現代に継承する為の刷新を図りながら、他にはない唯一無二の独自性と価値を積み上げ、今なお歴史を刻み続けている。

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2017-12-01 | Posted in 風景・街角, YOKOHAMA SNAP | tag:

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