【YOKOHAMA SNAP】国の重要文化財になる帆船日本丸

先日、国の文化審議会による答申を受け重要文化財に指定される見通しとなった「帆船日本丸」。”太平洋の白鳥”とも称された美しい船は、元々船員を養成する練習帆船として昭和5年(1930)に建造され、3月31日には竣工87周年を迎える。

明治期から公立商船学校において船員の養成が行われてきたが、当時は小型練習船しか持たない地方の商船学校で海難事故が相次いでいた。そうした中、昭和2年(1927)に鹿児島県立商船学校の練習船が銚子沖で遭難し54名が行方不明となる痛ましい事故が発生。この事故を契機に安全に訓練を行い若い船員を養成することのできる大型の練習船建造が強く要請されるとこととなり、4本マストの「日本丸」と「海王丸」の2隻が建造され、日本丸は昭和5年(1930)3月31日に川崎造船所神戸工場にて竣工した。

第1次遠洋航海以来、幾多の訓練航海をこなしてきた日本丸であったが、昭和16年(1941)に太平洋戦争が勃発すると、帆装が取り外され美しい白い船体も灰色に塗り替えられ物資輸送に従事。だが、沈没することなく戦争を生き抜き、戦後は引揚船として復員輸送に従事した。昭和27年(1952)に取り外していた帆装を復旧すると、戦没者の遺骨収集に従事した後、再び練習船帆船として航海訓練業務を続けた。その後、船体の老朽化により昭和59年(1984)年に引退。引退までの約54年間に地球を45.4周(約183万km)航海し、約11500名もの船員を育てた上げる偉業を成し遂げた。引退後は横浜市の誘致により昭和60年(1985)から「日本丸メモリアルパーク」に係留され、みなとみらい、そして横浜港のシンボルとして親しまれている。帆船日本丸のこれまでの主な歩みは以下の通り。

「帆船日本丸、これまでの主な歩み」
昭和5年(1930)1月27日 進水
昭和5年(1930)3月31日 竣工
昭和5年(1930)10月4日~12月3日 ポナペ島へ向け第1次遠洋航海。
昭和16年(1941) 太平洋戦争勃発。物資輸送船として徴用
昭和21年(1946) 引揚船として復員輸送に従事。
昭和25年(1950) 朝鮮戦争勃発。特殊輸送業務に従事
昭和27年(1952) 帆装を復旧
昭和28年(1953) 戦没者の遺骨収集業務に従事。6月には戦後初の遠洋航海。
昭和35年(1960) 日米修好通商百周年記念航海。
昭和59年(1984) 引退
昭和60年(1985) 日本丸メモリアルパークにて一般航海開始。
平成29年(2017)3月 <船員養成の任を担い海運業の発展に貢献したこと>、<国内技術により開発した船舶用ディーゼル機関、横肋骨方式リベット構造、艤装、外板など船体の希少性>、<航海日誌や図面類など運航や修繕の内容を体系的に知りうる豊富な資料>などが評価され、国の文化審議会により国の重要文化財に指定するよう文部科学相に答申。

日本丸・総帆1-THE YOKOHAMA STANDARD

 

日本丸・総帆展帆4-THE YOKOHAMA STANDARD

 

日本丸・総帆2-THE YOKOHAMA STANDARD

 

日本丸・総帆展帆3-THE YOKOHAMA STANDARD


2017-03-24 | Posted in YOKOHAMA SNAP, クルーズ・船 | tag:

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