【YOKOHAMA SNAP】野毛の切通し

野毛山を貫いて切り立った石垣が曲がりながら続き戸部方面と野毛を結ぶ「野毛の切通し」。

横浜を開港場とすることに決めた幕府は、安政6年(1859)の開港を前に大急ぎで各種インフラを建設。不便であった東海道筋と開港場を結ぶため、東海道筋の芝生村(現浅間町交差点付近)から、岡野・平沼の新田(現西区岡野・平沼付近)、戸部村(現西区戸部町付近)を経て、野毛山を切り開いた「野毛の切通し」をぬけ、切り立つ崖に入江が広がっていた野毛浦(現中区野毛町付近)へ出て、野毛橋(現都橋)、太田橋(現吉田橋)を渡り開港場へと至る「横浜道」を整備した。

切通しは明治6年(1873)には外国人技師デービスにより切り下げ工事が施工され、関東大震災復興時の昭和3年(1928)には市電長者町線の整備に際してさらに深く切り下げられた。切通し東側の間知石風割石練積の擁壁はその頃に築造されたもの。西側の「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁」とともに印象的な景観をつくりだしている。

手前左は「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁」。右手奥に見えるのが震災復興時に築造された擁壁。

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切り立つ擁壁が曲がりながら続いてゆく。

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切通しから野毛方面をのぞむ。

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2016-11-17 | Posted in 風景・街角, YOKOHAMA SNAP | tag:

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