【YOKOHAMA SNAP】岩亀楼の石灯籠
横浜スタジアムのある横浜公園は、「港崎遊郭(みよざきゆうかく)」の跡地にできた公園で、園内の片隅には遊郭「岩亀楼」の石灯籠が遺されており、この場所の由緒をささやかに伝えている。
横浜開港にあたり遊郭の設置を決めた幕府は、太田屋新田内の土地一万五千坪を品川宿の岩槻屋佐吉ら事業者に貸与。埋立を伴う工事は難儀の限りを尽くしたが、安政6年11月11日(1859)に晴れて港崎遊郭は開業した。
開業後の港崎遊郭は年を経るにつれて繁栄を極めたが、慶応2年10月20日(1866)の大火(通称:豚屋火事)により焼失し、栄華は7年で幕を閉じることとなった。この火事では多くの遊女が犠牲になったという。その後、跡地に造られた公園が現在の「横浜公園」で、明治9年(1876)に開園し当時は「彼我公園」といった。
「岩亀楼」は港崎遊郭の創設において中心的な役割を果たし、港崎遊郭の名主であった佐藤佐吉を楼主とする遊郭で、岩亀楼の名は佐吉が品川宿で営んでいた旅籠屋「岩槻屋」に由来する。岩亀楼は横浜の遊郭が、吉原町、高島町、真金町・永楽町と移転してゆくにともない移っていったが明治17年(1884)に廃業した。この灯籠は南区の妙音寺から横浜市に寄贈されたもので、明治初年頃のものとされるが、妙音寺に移された経緯など詳しいことはわかっていない。
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