【横浜の橋】霞橋(旧隅田川橋梁・旧江ヶ崎跨線橋)<横浜市認定歴史的建造物>

新山下運河に架かる「霞橋」。網目のような橋上部のデザインが特徴的な白いトラス橋は、青い空に良く映え、水辺の空間に印象的な風景をつくりだしている。明治29年(1896)に誕生し119 年の歴史を持つ橋でもあり、「隅田川橋梁」、「江ヶ崎跨線橋」として活躍した後、平成25年(2013)から現在の場所で第3の橋人生を送っている。

霞橋のこれまでの経歴
「隅田川橋梁(すみだがわきょうりょう)」時代 <明治29年(1896)~昭和3年(1928)・32年間>
明治29年(1896)に完成した日本鉄道土浦線(現常磐線)の「隅田川橋梁」は、200フィートプラットトラス2連(60.96m×2)と60フィート鉄桁19 連(18.28m×19)から成る全長約470mの橋梁であった。後に移設を繰り返し「霞橋」となるのは、このうち200フィートプラットトラス2連部分で、イギリスのHandy side 社によって製作された。その後、機関車の荷重増加などにより「隅田川橋梁」は架け替えられることになり、関東大震災後の昭和3年(1928)に撤去された。

「江ヶ崎跨線橋(えがさきこせんきょう)」時代 <昭和4年(1929)~平成21年(2009)・80年間>
昭和4年(1929)に新鶴見操車場が建設されると、操車場をまたぎ横浜市鶴見区と川崎市幸区を結ぶ「江ヶ崎跨線橋」として、「隅田川橋梁」の200フィートプラットトラス2連部分が移設され、「荒川橋梁」から移設されたのポニートラスなどと共にこの跨線橋を構成した。「新鶴見操車場」が昭和59年(1984)に廃止された後も、「江ヶ崎跨線橋」は引き続き利用されてきたが、老朽化や幅員不足などにより跨線橋として80年の歴史に幕を閉じ、平成21年(2009)に撤去された。

「霞橋(かすみばし)」 <平成25年(2013)~>
「江ヶ崎跨線橋」が撤去されることになると、「隅田川橋梁」から使用されてきた200フィートプラットトラス橋は、その歴史的価値を重要視する学識者などの働きかけにより、架け替え予定であった新山下の3代目「霞橋」として生まれ変わることになった。移設にあたり、200フィートプラットトラス2連のうち、傷みの少ない分を切り出して32.96mの長さに再結合し、また格点部のコッターピンや格子状の対傾構などオリジナルの様式や部材ををできる限り残すかたちで再生され、平成25年(2013)3月に開通した。

建造から119年目を迎える「霞橋」は「隅田川橋梁」時代以来久しぶりに水の上に架かり、今日も変わらず道行く人や車を渡している。

(DATA)
建築年代:明治29(1896)旧隅田川橋梁として架設
構造・規模:下路式プラットトラス橋
設計/施工:イギリス・Handy side社 / 日本鉄道
指定/分類:横浜市認定歴史的建造物(平成25年度)・土木学会田中賞(平成25年年度)
所在地:横浜市中区新山下1丁目

霞橋1-THE YOKOHAMA STANDARD

霞橋2-THE YOKOHAMA STANDARD

霞橋3-THE YOKOHAMA STANDARD

展示されている「支承」(橋梁の上部構造と橋台・橋脚の間に設置する部材)。霞橋ではオリジナルの支承を再生し使用している。
霞橋6-THE YOKOHAMA STANDARD

霞橋5-THE YOKOHAMA STANDARD

霞橋4-THE YOKOHAMA STANDARD

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2015-10-06 | Posted in 横浜の橋, | tag:

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