【横浜の寺】弘明寺(ぐみょうじ)
「弘明寺」は瑞應山蓮華院(ずいおうざんれんげいん)と称する真言宗の寺院で、横浜最古の寺院といわれる。
寺の由来は、元正天皇の養老5年(721)、インドの善無畏三蔵法師(ぜんむいさんぞうほうし)の結界に始まり、聖武天皇の天平9年(737)に行基がこの地を訪れ十一面観音立像を彫り安置したとされる。また弘法大師が弘仁5年(814)に訪れ、聖天(大聖歓喜天)を彫り安置したという。寛徳元年(1044)には光慧上人により瓦葺き本堂が建立され、この頃が実際の開山とされている。鎌倉時代には源家の祈願所とされ、江戸時代には坂東観音三十三ヶ所の第14番札所として信仰を集め、年に2回の市が立ち賑わったという。
「弘明寺」の名については、古くは「求明寺」と称されていたものを、観音経偈文(かんのんぎょうげもん)の中の「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」から「弘」の字をとり「弘明寺」になったとされる。
本尊の「木造十一面観音立像」は、丸のみの彫り痕を像表面に残した彫り口が特徴の『鉈彫り』の典型的な作例として有名で、大正4年(1915)に国指定重要文化財となっている。
弘明寺商店街のかんのん通りを抜けると現れる山門をくぐり、傾斜のある石段を上ると開ける境内には静かな時間が流れる。
仁王門
仁王像は、13世紀後半、早期運慶様を尊守する鎌倉仏師の作とされる。(横浜市指定有形文化財)
七ツ石
善無畏三蔵法師が陀羅尼を書写し、結界を立てた霊石と伝える
弘明寺梵鐘
寛政10年(1798)、阿闍梨(あじゃり)秀光が願主となり再々造したものとされる(横浜市指定有形文化財)。
弘明寺
所在地:南区弘明寺町267