【YOKOHAMA SNAP】馬車道界隈の防火帯建築

馬車道界隈の防火帯建築。通りに沿って長く続くものや、角が隅切りされたものなど、どこか味のある低層ビル群は、廃墟の中から歩みを始めた戦後の復興期に建てられ、今も街に点在し特徴ある景観をつくっている。
明治・大正期に建てられた歴史的建造物が今も街に残る一方で、関東大震災、第二次世界大戦により22年の間に2度までも廃墟となった横浜の街。戦後はさらに市中心部が米軍に接収され、他都市に比べ復興が遅れるという苦難を強いられた。防火建築帯事業は、徐々に接収が解除され始めた終戦から7年目の昭和27年(1952)、同年施行された耐火建築促進法に基づいて計画された。最終的には間口延長6kmほどに耐火建築物が建てられ、戦後における横浜中心市街地復興への礎となっていった。防火帯建築は関内地区の他、吉田町、福富町、長者町など関外地区でも見ることができる。

野田ビル・馬車道会館ビル

防火帯建築5-THE YOKOHAMA STANDARD

早川ビル

防火帯建築1-THE YOKOHAMA STANDARD

商栄ビル・南側

防火帯建築2-THE YOKOHAMA STANDARD

商栄ビル・北側

防火帯建築4-THE YOKOHAMA STANDARD

弁天通りの弁三ビル(原ビル) 神奈川県住宅供給公社が手がけた最初の共同ビル

防火帯建築3-THE YOKOHAMA STANDARD

THE YOKOHAMA STANDARD ウェブサイト


2016-03-09 | Posted in 風景・街角, YOKOHAMA SNAP | tag:

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